志望動機がゴミになる瞬間
はい.絶望就活生です.
つい先程某社からお祈りメールをいただきました.こういうのもあれですが,私の人生の今後をお祈りしてくれた某社は,それはそれはよい会社で,わりと真面目に「行きたいなぁ」と思っていた会社だったんですよね.
世間ではこのTogetterがバズっていたわけですけど.いざお祈りされる前にこの記事見た時は「そういうの浮かばない企業には応募しないほうがいいんじゃないの……」なんて綺麗ごとを考えていたんですよね,私は.少なくとも今回応募する会社に関しては,私は「御社入りたいの!入りたい!」と素直に文章書いただけだったので,上記のTogetterみたいなことは微塵も考えずに志望動機書いたんです.
それで,その内容が良かったのか悪かったのか知りませんが,書類選考は通してもらって,2回ほど面接させてもらえました.で,まぁ今日になってお祈りされたんですよ.
それでお祈りメール見た途端に,ほんとうに見た途端に,急に志望動機考えるのが馬鹿らしくなっちゃったんですよ.急に.なんでなんだろうってちょっとだけ考えたんですけど,いざ考えると理由は大変明白で.頭悩ませてそれなりに自分を伝えるために時間をかけて書いた志望動機が,社会的に完全なゴミになったことを自覚するのって,実は結構精神的にクるものがあるんだな,と.
今回の志望動機って,多分書くのに(割りとスペースが限られていたこともあって削るのに時間を使ってですが)2時間近くはかかっていたと思うんですよ.それなりに頑張ってこう,自分ほんとに入りたいのよって,言うためにうんうん唸りながら書いたんですよ.
でも,いざ「お祈り致します」って言われると,やっぱりゴミになった感じがするんですよ.もちろん書類選考はちゃんと通ってるんだから,その時点で志望動機の役割はもう終わっていて有効活用されたと考える方がいいのかもしれませんけど,でもだとしても,自分が頭悩ませて書いた文章が完全にその役割を終えたのって,なにか苦しい辛いものがある気がしていて.
インターンの応募に関しても似たようなものは書く機会はあるんですけど,インターンの場合は一応そのあとも「企業」と「志望するかもしれない学生」という関係性を保ったままじゃないんですか.でも新卒の選考の場合となると,その関係性が完全に変わるんですよ.「企業」と「企業に興味を持たれなかった学生」って関係性に変わるんです.
この差も実は相当に大きいと思っていて.もう,おそらく本当に当分の間(どっかに就職して,今回応募した会社に転職するにしても,だいたい3年ぐらいは)そんな関係になるわけじゃないですか.本当に縁が切れた感じになるじゃないですか.その縁をたぐろうと必死になって書いた文章もゴミになってるわけじゃないですか.なんか,もやもやしますよね.少なくとも,それって気分がよいものではないと思います.
今後も就職活動は続けるので,一生懸命志望動機を考えて書くと思いますけど,このうち何割がゴミになるのかとか考えると,正直モチベーションが保てませんよね…….考えずに無心でやり続けるしか無いんでしょうけど.
就活が終わった時,私のもとにはなにが残るんでしょう.無駄に時間だけ使って,進捗がでていない研究が手元に残るだけなんでしょうかね.なんか色々落ち込み始めた気がしますけど,無心で頑張ります.人間を捨てて職を求めます.頑張ろう.