しがない学生の雑記

吐けども吐けども毒を吐く。

誕生日だし18歳で死のうと思っていた話をする

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photo by freakgirl

 

誕生日だぞ.祝えよ.

 

 
 
と,いうだけではあまりにも芸がないので,今日は誕生日の話を書きます.誕生日というと色々ありました.もともと性格がひねくれていた私ですが,今思うと昔から誕生日というイベントは憂鬱でした.
 
 
憂鬱に感じだしたのは小学6年生の頃.年を取れば取るほど背負う責任が大きくなるのを感じ,「おとなになる前に死んでしまえばいいのではなかろうか」とか考えて,最終的に「大学受験のために一生懸命勉強したふりをして,それなりの大学に入学することを失敗して,そのショックで自殺したことにすれば,世間的にもいい感じなんじゃなかろうか」という結論に至っておりました.嘘みたいな話ですが,私は至って真面目にこの文章を書いております.要するに,本当の話です.
 
 
なんでこんなこと考えていたのか.大体の原因は家庭環境にあったように思います.何かにつけてヒステリックになる母親,母親に愛想をつかして家から出て行った父親,明らかに家を嫌い父を擁護する父方の親戚,まぁ言い出したらキリがないぐらいです.あと,小学校でも色々ありましたね.高学年の担任の教師が生徒にセクハラかなんかして消えた話とか,特別支援学級の子と仲良くしたらろくでもない目にあった話とか,まぁそれなりに黒いこととか,いろいろと人間を嫌になることは経験していたように思います.*1
 

そういうのをたくさん見て,小学6年生の私は死ぬことを考えたのでしょう.それ以降の人生は理不尽な社会に押し潰されるろくでもないものになるのだから,だったら社会が失敗を見逃してくれる未成年のうちに色々やって,早めに死のうと考えていたわけです.
 
それ以降,私の中で誕生日というのは,死に対するカウントダウンでした.誕生日の度に自分の中では「後何年で死ぬのか.そっか.」といった,モラトリアムな感覚を味わっていました.
 
 
 
 
 
ここでネタばらしをしてしまうと,年齢は一応ごまかしておきますが,私は現在18+n歳(nは自然数)です.要するに,死んでおりません.何故私は死ななかったのか.理由はとっても単純で,死ぬのがもったいなくなったのです.
 
 
18歳で死ぬことを考えて以降,私は「どうせ死ぬんだから」と開き直って,色々なものを見聞きするようになりました.しかもこのタイミングで自宅にインターネットが開通したんです.*2
 
元々読書好きで好奇心だけが取り柄だった私にはインターネットの広大さはとても魅力的に思えました.検索をすればその知識が得られるという事実は私にとって相当なカルチャーショックで,井の中の蛙が海原どころか大宇宙に放り投げられたようなものでした.
 
その結果,色んな物を見つけて,色んな物を面白いと思うようになりました.色んな物にハマって,ついでに色んな物が怖くなりました.でもそれらの体験は,やっぱり楽しくって.この頃から面白いものに貪欲に鳴り始めていました.
 
そんなことをしていたら,当時聞いていた某インターネットラジオでこんなやり取りがありまして.
 
本屋さんに行くでしょ.で,今日買う本を持ってレジに並ぶわけじゃないですか.それでその時にこう,周りを見回すんですよ.そうすると,レジでバーコードが読み取られている本があって,前の人が持っている本があって,店員さんの奥には発注か何かで取置されている本があって,それで,もっと視野を広げると,当たり前ですけどたくさんの本が陳列されているんです.
 
それで,もう一回自分の手元を見ると,たった数冊しか無いんです.もちろん興味を持った本だけなんだけど,それでも本屋さんには,自分が興味を持つかもしれない本がたくさんあって,その中には多分,自分が面白いと思う本もたくさんあるわけでしょう.
 
だから毎回本屋に行くと凹むんです.自分が今から読める本はたったこれしかないのかって.
 
 
このやり取りが当時の自分には相当響きました.よく考えたら自分が生涯でできる経験なんてほんの一握りなのに,なんでそんな死に急いでいたんだろう,と,改めて考えなおすきっかけになったのを覚えています.この頃から,もっと面白いものがあるんじゃないか,もっと楽しいことが,社会にはあるんじゃないのかなんて,ちょっと社会に希望を持ち出しました.
 
そして,この希望が確信に変わったのが高専への進学でした.もともと興味を持っていた情報系の勉強はやっぱり楽しかったんですが,それ以上に面白かったのは実は高専の学生でした.高専の学生ってまぁはっきり言ってみんな頭おかしいんですけど,その代わりに大抵の学生はみんな何かしらの専門家ばかりだったんです.だから,会話する度に知識が増えたり,新たな発見がたくさんあったんです.
 
私はインターネットの欠点って,求めている情報を得るのはすごく簡単なんだけど,求めていないけど得られたら嬉しい情報を得るのが凄く難しいところだと思っているんですが,そういう意味で高専生として送る学生生活は足りない部分を埋めてくれるものだったんですよね.そのおかげで私は立派にキモオタになったわけですが…….
 
 
 
そんな学生生活の中で必死にレポート書いていたら,いつの間にか19歳になっていました.
 
 
 
文章的には急に飛んじゃったんですけど,実感としては本当にそんな感じだったんです.完全に18で死ぬことを忘れていたんです.思い返すと18歳当時はいろいろやってみようと思って馬鹿みたいにいろんな役職や部活を掛け持ちして,結果として毎日泥のように眠っていた時期でしたから,そんなこと思い出しもしませんでした.
 
 
18歳で死のうと思っていたことを思い出したのは20歳になってちょうど成人式を迎えた頃でした.いつの間にか死ぬ気でいた18歳は通り過ぎ2年.未成年でいるつもりが成人になっていました.なんとなく一人で頭をポリポリかいてみたりしたんですが,何をしたってその事実は変わらなくて.なんとなく,気恥ずかしい物を感じたのを覚えています.
 
20歳になって人生を振り返ると,思い出すことがたくさんありました.面白いものはたくさんあって,楽しいことも苦しいこともたくさんありました.それでも,あのラジオで聞いたやり取りは,まだ自分の中には生きていました.
 
きっと今まで経験したことは,あのやりとりで言うところの「手に持った数冊の本」でしか無いのでしょう.だから,今の自分に必要なのはきっと周りを見ることなんだ.自分が興味を持つことは世間には数えきれないほどあるのに,それを見つけることをやめるなんて,あまりにももったいない.
 
 
この時にはじめて,もうちょっと頑張って生きてみようかな,と思えました.
 
 
 
 
 
改めて考えなおすと,この話って完全に私が中二病をこじらせただけの話なんですが,それでも,18で死のうと考えていなかったら,今の人生はなかったんじゃないかと思います.きっとこのこじらせがなかったら,もっと自分の人生は平坦で,こんなに面白くならなかったんじゃないかなぁと思います.*3
 
 
今こうやって誕生日を迎えると,それはそれで憂鬱でだったりします.というのも,やっぱり未成年のうちにもうちょっと恥をかいておくべきだったかなとか,この歳になって新しく何かを始めるのはこっ恥ずかしいなとか,若いうちの時間の使い方が下手糞だったことについて大変憂鬱になります.自分より若くて優秀なエンジニアにはたくさん会ったし,ぶっとんだ発送ができるプランナーにもたくさん会ったし,学校の勉強しないでこっちの勉強すればよかったかなとか考えて憂鬱です.
 
もちろんそれだけじゃなくて,単純に自分の死がゆるやかに近づいていることも憂鬱に感じています.限られた時間でどんな面白いものを見つけられるのか,例の本をどれだけ探して読めるのか,そういうことを考えながら毎日生きています.
 
 
いつ死ぬかわかんないですけど,楽しいことをたくさんしてから死にたいですね.それだけは今後も変わらないと思います.
 
 
 
 
 
最後にもう一回乞食リストを.卒論書きながらプレゼントお待ちしております.よろしくお願いします.
 

*1:それでもいわゆる本物の方々から比べれば大したことはないのでしょうけれども.

*2:ちなみに自宅にインターネットを開通させるのは小6当時の私がモデムの設定とWindowsXPのネットワーク関連の設定を何の知識もない状態でやったからで,それがきっかけで情報系に興味を持ち始めたのですが,それはまた別のお話.

*3:もちろんここで書いていない思い出はたくさんあるんですけど,それらが生まれるきっかけも結局はこじらせに収束するんじゃないかと思います