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しがない学生の雑記

吐けども吐けども毒を吐く。

“肉の万子”で丸山圭三郎の「言語と記号」を思い出す

こんばんは。タイトルはほぼ釣りです。あと大鳳建造しました。

 

Togetter見ていたらこんなものが。

 

【悲報】「肉の万世」の無名マスコットキャラにとんでもない名前がTwitter民により命名されるwww - Togetterまとめ

 

要するに、無名のマスコットキャラクターに「肉の万子」というとんでもなくアウトな名前がつけられたというお話でした。日本ってすごいですね。

 

なぜだか知りませんがこの時に私は国語の授業を断片的に思い出しました。丸山圭三郎の「言語と記号」という文章を読んだ授業です。この言語と記号という名前は教科書用につけられたもののようで、実際は「ソシュールの思想」という本の一部を教科書用にしたものだったとか、なんだったとか。

 

モヤモヤしていたので調べ直したら国語の授業用のサイトを見つけたので、そこからちょっと引用します。

 

 その内容とは「言語が事物や概念を存在せしめる」ということであり、逆にいえば、「名前のないものは存在しない」ということになる。

 

今日の授業(「言語と記号」その1) : 国語の授業の作り方

 

 それどころか、さまざまな違う心情を集めて「概念」にするのは「言語記号」であり、もっと言ってしまえば、「物事や概念を存在せしめるのは言語であり」、逆に言えば、「名前のないものは存在しない」ということになる。

 この概念はおそらく、ほとんどの生徒は初めて耳にするものであろう。そして、はじめはこの概念を理解することは難しいと思われる。なぜなら、これは真理では あるが、もうひとつ別の真理があり、普段はそのもうひとつの真理が幅をきかせていて、その真理の陰に隠れていて目に見えないからである。もうひとつの真理 とは「存在するものに名前をつける」というものであり、これは日常的に誰もが考えることであり、容易にイメージできることである。

 

今日の授業(「言語と記号」その2) : 国語の授業の作り方

 

※太字、赤字は当ブログによる強調です。

 

改めて読んでみるとかなり難解な文章であって、それを私の国語の先生はわかりやすく噛み砕いて教えてくれたことを実感できます。しかし今回の万子ちゃんの一件はそんな授業をはるかに超えた事例となったのです。

 

丸山圭三郎の文では「名前の無いものは存在しない」ものとして扱われており、これが今回の「肉の万子」という名前が付く前の彼女の状態です。ここにツイッターユーザーが「存在するものに名前をつける」という動作を行った結果、実際に彼女は存在するようになりました。

 

少なくともTogetterを見る限りでは、この名前がついたことによってやれ卑猥だアウトだ公然わいせつ罪(歓喜)だ、などと彼女の印象がものすごい勢いで固まっていきました。これが丸山圭三郎のいう存在するということなのであれば、今回の一件はその「存在する」ということが可視化された場合なのではないか、などと考えました。

 

私の今回の万子ちゃんが「存在する」まで、名前の無いものは存在しないという理屈は小林製薬のネーミングセンスが一番表現していると勝手に考えていたのですが、万子ちゃんのほうが圧倒的にわかりやすいし実感できた気がします。インターネットってすごいね。

 

ちなみに。

 

 

 

 

 

万子ちゃんの本当の名前はいのりちゃん?なのかもしれませんが、そのへんは大人の事情があるようです。わたしはいのりちゃんでも好きですけど、薄い本的にはやっぱり万子ちゃんの方がしっくr(ry

 

 

それと、こんな記事書いてしまって、全国の国語教員の皆様、そして丸山圭三郎先生に心からお詫び申し上げます。

 

 

ソシュールの思想

ソシュールの思想