しがない学生の雑記

吐けども吐けども毒を吐く。

人生の9割は親で決まって欲しくない人です

ごめんなさい、今日全部愚痴です。あと長いです。

 

人生の9割は親で決まる

http://anond.hatelabo.jp/20131014005616

 

こんばんは。今日は家族の話を、自分の過去の話をします。誰得ですが、こんな記事みたらちょっと書きたくなりました。

 

 

 

 人生の9割は親で決まって欲しくない理由、ですが。

 

幼稚園、小学生時代、私は周りに母親大好き人間として認識されていました。しかし実際には、母親に怒られたくない一心でいろんなことをしていました。学校の勉強も、習い事としてやらさせられた剣道、水泳は嫌でしたが続けていました。

 

でもこの頃は、まだ自分のことを思ってやらせているから、多分やっておいて損はないんだろうと思っていました。実際今でも極稀にですが、メリットを感じることもあります。母親は正しい人間で、そんな母と喧嘩ばかりしている父はきっと少し頭がおかしいんだろうな、なんていう思い込みをしていたのもこの頃です。

 

全てが変わったのは小4の時に母親に見せられた雑誌の切り抜きを見てからです。どういう状況だったかは覚えていませんが、タイトルだけは嫌に鮮明に覚えています。確か「自分の望む子供の育て方」でした。

 

はっきり言って母親は頭がおかしいんじゃないかと思いました。小4の息子に見せるものじゃないでしょう、と。ちなみに見せた理由は今でもわかりません。

 

しかしその時に、「あぁ、私の母親は自分のことを自分の望むように作りたかったんだ」とすんなり納得しました。だから私が母の言いつけを守らないときに、あんなにイライラして叫んでいるんだなぁと。

 

この出来事は当時の自分にとって衝撃的すぎました。だって自分が一番正しいと思っていた人間が、自分のことを好き勝手作ろうとしていたんですよ。

 

この出来事から思春期特有の自分が生きている理由、自我について考えるようになります。他の方はどうなのかわかりませんが、自我が正しいのかどうかをやたら考えていたのを覚えています。だって親に作られているかもしれないから。

 

そんなことがあって1年ぐらいたったころ、父親が家から出て行きました。ここから中2まで両親の別居状態が続きます。父親は出て行って当然だったと思います。

 

私と妹の子供二人は月1程度で父親と会う機会がありました。いわゆる面会です。私はこれが嫌で仕方がありませんでした。なぜって母親がいろんなことを私達子供経由で父親に伝えようとするからです。

 

大体遊びに行く時には、父親は今までに連れて行ったことがないような場所にたくさん連れて行ってくれました。ゲーセンでひたすらメダルゲームをやったり、ブラックバスを釣りに泊りがけで出かけたり、いろいろありました。こっちは鮮明に覚えています。セブンスターのタバコの臭いを母は嫌っていましたが、自分はいつの間にか心地良いとまで思っていました。

 

この時にはいろいろ話しました。出て行った理由を詳しく話してはくれませんでしたが、「父さんのものってあの家にどれ位置いてあった?」って言葉はものすごく重かったです。今思い出しても、クローゼットの一部に衣類があっただけでしたから。

 

この頃から、だんだん両親に抱いていたイメージが逆転してきます。母親の頭がおかしくて、父親の頭のほうが数倍マシであることがわかってきたのです。

 

小5から中2までは、父との面会がたまにありつつも、母親のもとで普通に生活しました。勉強が習慣化していたので、結果として中学校の成績は結構良かったです。でも正直そんなに嬉しくありませんでした。自分で取った点数というよりも、母親に取らされた点数に見えたから。

 

中2で両親が離婚しました。離婚調停は泥沼だったそうです。

 

中3で進路を決める時、やはりというか、当然のように母親は私の進路を決めさせたがりました。まだ私が駒か何かだと思っていたみたいです。結局のところ、自分が興味があった工業系の高専に進学することになりました。母親とはもめましたが、高い学費に関して文句を言われることを覚悟していたのに、自分の夢を考えろとかグダグダ言われて拍子抜けしたのをよく覚えています。

 

この辺から静かに反抗期に入りました。母親に対して暴言を吐いて反抗するのではなく、母親の考えている内容にも反抗するようになりました。母の嫌っていた、一番手を出してほしくないであろうアニメに手を出しました。制限されていたゲームも友人と死ぬほど遊んでいました。結果としてただのオタクになりました。でも見つかるといろいろ面倒なので今でもこっそり楽しんでいます。

 

さて、ここで本当に母親がクズであることを認識した出来事が起こります。すべては妹が中学3年生になり、進路を決めかねていた頃です。母はまた妹の進路を自分が決めようとしていました。その際に私も説得するように言ってきました。その際の一言は死んでも忘れません。一生忘れません。絶対に、絶対に忘れません。

 

「親ってのはね、時にはこどもを洗脳してあげることも必要なの」

 

この時に確信しました。こいつ屑だ。クズです。クズです。一緒にいたくないと嫌悪感でいっぱいになりました。結局妹も母親を説得して自分の行きたい高校に進学しました。

 

あとはなぁなぁと過ごして現在に至ります。母親は以前にも増してキレやすくなりました。まるで現代っ子ですね。立場が逆のはずなんですが。

 

 

 

長くなりました。そろそろ結論に。

 

これでも私は母親に感謝しているところがあります。なんだかんだ文句をたれながらも仕事してますし、晩飯作る時もありますし、何より学費を出してくれています。母親がいなければ私はいま生活することは出来ていないでしょう。

 

この際、金が無いと子供に言いながら仕事の人たちと飲み会に行って新幹線で帰ってくることにも目をつむります。高い化粧品をネット通販で買わせるのも無視しましょう。それでも親をちゃんとやっている部分がありますから。少なくとも私の保護者は母親であることは明白です。

 

しかし、その事実があったとしても、おそらく私は母親を恨み続けます。一生恨んでいくと思います。少なくとも、この人間を信じることは、信じきることはできません。だって、表面上はまともな親だとしても、私を好き勝手に、自分好みに作ったかもしれない、洗脳した可能性がある人間だから。

 

人生の9割が親で決まるとか、吐き気がします。別にそれが、自分が望んでいて、親が無意識に示す道であるなら、それこそさっきの増田の方なんか幸せだと思いますが、そこに親の意志が、思考が含まれるなら、それは幸せでもなんでもありません。親のエゴです。

 

もしも皆さんが親で、子供の考えていることに干渉しようとするならば、自分の思うとおりに子供の人生を曲げたいのならば、子供に一生恨まれる覚悟を持ってください。自分じゃない人間の人生を弄くるってのは、多分そういうことです。

 

 

 

 

 

さて、ここまで読んでいただいた方がいるとは思えませんが、もしもいたら、ありがとうございます。なんか、すいません。

なんか恥ずかしいので、一言だけ最後に、最近会っていない父親の言葉を。

 

「犯罪以外ならなにをやってもいい。」

 

 

 

 

追記:

よく考えてさっきのあれ読み直したら、私の人生も9割親に決められているかもしれません。ちょっと引用します。

 

 子供の人生は親で9割が決まるよ

親父とお袋の子でなければ、俺なんて何者にもなれない半端者で終わる程度の能力しかなかったと思う。

大それた夢をもって挑戦し続けてこれているのは、

夢が叶うことを教えてくれた親父とそれを支える家族の大切さを教えてくれたお袋、二人のおかげなんだよ

 

たしかに、こんな家庭に生まれなければ、今の自分はいないかもしれません。ベクトルが真逆ですが(^_^;)